暮らしのカレンダー

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ボタン生産は世界的にアメリカが大半をしめていた?

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2章 アートとその素材

 

ボタン生産は世界的にアメリカが大半をしめていた?

 

ボタン生産は世界的に、西ヨーロッパとアメリカが大半を
しめていた。
日本でも19世紀以降、おもに輸出用のボタンが数おおく
生産された。
自然素材のボタンはイヌイット民族やアフリカ原住民に
よりつくられた。


オーストリアのルーシー・リーなどの陶芸家は工芸品の
ボタンをつくってきた。
第一次世界大戦後の20世紀初期のパリではじめてボタンと
アートの世界がゆうごうした。
数おおくのアーティファクトたちは、母国のじじょうや
個人的なりゆうからフランスへ移住した。

 

そこに創造のインスピレーションをもとめた。
モードの都、ゆたかな歴史をもつパリで、「作家」「画家」
「彫刻家」「歌手」「俳優」、クチュリエと交流し、
すばらしいボタンをうみだした。

 

「ジャコメッティ兄弟」「スキャパレリ」「ロジェ・ジャン
=ピエール」のようにおなじ母国をもつもの同士のゆうじょう
もクリエーションに結びついていった。
2章では、こうして作られたさまざまなアーティストのボタン
を紹介します。

 

アンリ・アムとは?

 

アンリ・アムは、学生時代をすごしたボルドーに1897年、現代
アート・ソサエティを創立した。
1900年のパリ万博にさんかし、ピカソなどの芸術家としりあった
彼のサクヒンのおおくは、パリ市近代美術館にしょぞうされて
いる。

 

「角」をはじめ、「銀」「木」「カゼイン」などの素材も自在に
つかいこなせた。
白粉箱、櫛をこのみつくったが、その時代のボタンの質のわるさ
に憤慨したアンリは、みずから美しいボタンをつくる決心をする。

 

1919年11月のアール・エ・デコラシオン誌には、「この戦争
(第一次世界大戦)のさなかに、アム氏は1世紀以上わすれ
さられていたボタンやアクセサリーの復活、というあたらしい
試みにいどみはじめた」とかかれている。

 

「果物」「花」「虫」「キノコ」という自然と幾何学模様の
ユウゴウから、1000をこえる傑作がうみだされた。

 

エルザ・スキャパレリのために

 

イタリア出身のデザイナー、エルザ・スキャパレリは、パリで
キャリアをスタートする。
1920年代にザンシンな素材によるスポーツウェアを考案した
エルザのまわりには、前衛アーティストたち、マン・レイや
ダリ、コクトーが集まった。


このモード界とアート界のゆうごうは1930年代までつづく。
コクトーはエルザの1937年秋のコレクションのために、2枚の
「コクトー風横顔」をえがき、パリのオートクチュール刺繍の
工房、ルサージュが刺繍をほどこした。

 

ジャン・クレモンのコクトー風のボタンはスキャパレリの為に
つくられたもの。
2004年の「スキャパレリ」展のさいに、モード・テキスタイル
博物館がしゅっぱんした書籍、「エルザ・スキャパレリ」の
写真からもモード界でのボタンの大切さがつたわってくる。

 

自然とアール・デコの組みあわせであたらしい花の世界をうみ
だしたり、エルザ・スキャパレリのコレクションのために
本物のヘーゼルナッツをボタンにしたりと本気度が凄すぎ!

 

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