暮らしのカレンダー

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最初にボタンの素材と してとりいれたのは・・・

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最初にボタンの素材と してとりいれたのは・・・

 

ルシアン・ヴェンゴットも

 

1930年代のとうじょうしたレジンを最初にボタンの素材と
してとりいれたのがジャン・クレモンだった。
化学者だったクレモンはあたらしい素材にためらうことなく
取りくんだ。

 

ルシアン・ヴェンゴットもレジンに興味をもち、クレモンが
1939年に引退するとカレの志をつぎレジンのボタンをつくり
つづける。

 

「種子」「貝」「羽」「ウール」「石」などヴェンゴットは
可能なかぎりの素材をレジンにうめた。
ロジェ・ジャン=ピエールを販売元に1960年代まで制作
活動をつづけた。

 

ヴェンゴットのボタンが人気をあつめるにつれ、他会社も
レジンのボタンをつくりはじめ、かれの作風をコピーする
ことさえ厭わなかった。

 

高品質なヴェンゴットのボタンは留め具のレィジェンの表記
から見分けられるが作者がハンダンできないすばらしい作品の
かずかずこそレジンのボタンの魅力といえるかも。

 

ボタンからはなれたロジェ・ジャン=ピエールは

 

1934年、ロジェ・モデルとジャン・クレモンの2つのアトリエ
のディレクターだった彼はエルザ・スキャパレリと出会い、
イタリア人同士の2人は意気投合する。

 

1939年、スキャパレリの渡米を機にロジェ・ジャン=ピエールは
いったんボタンから離れるがクレモンは亡くなる1949年まで
活動をつづけた。

 

1947年から1954年までロジェ・ジャン=ピエールはフランシス・
ヴィンター社でしごとに復帰する。
彼がアトリエをヴォージュ広場にひらくために退社したとき、
おおくの従業員があとをおい、ヴィンター社ははいぎょうを余儀
なくされた。

 

1962年、彼はモード関係者のぎょうせきをタタえる「ニーマン・
マーカス賞」をジュショウする。
かれの引退後、いちぶのストックを高級ボタン業者、マビーユが
買いとるが、そのマビーユもすでに引退した。

 

「簡単そうだな」とおもうかたもおおいかも

 

アンドレ・モルコは、パリのグラン・ブルヴァールのそばにあった
彼のブティックで、2000年もまだ現役でしごとをしていた。
第二次世界大戦後に、モルコはセラミックのボタンをつくりはじめ、
パリの百貨店や装身具のメーカーにはんばいしていた。

 

ボタンをつくるということを「簡単そうだな」とおもうかたもおおい
かもしれない。
しかし現実には、ボタンにふさわしい素材をつくりだすという試行
錯誤のつみかさねをヒツヨウとするとてもたいへんな作業なのだ。

 

その結果はアーティスティックな存在価値のあるものでなければ
ならない。
アンドレ・モルコはボタンをとおし、彼にしかヒョウゲンできない
世界をつくりだすことに成功した。

 

かたつむりの形のボタンやみみずくの形のボタンなどある。
綺麗なビー玉みたい。

 

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