暮らしのカレンダー

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誰もが ”美味しい” と認める味は存在するのでしょうか?

読了までの目安時間:約 6分

 

誰もが ”美味しい” と認める味は存在するのか?

突然ですが、誰もが ”美味しい” と認める味は存在するので
しょうか?
 
例えば玉子焼きを例にしてみると、
・甘いのが好き
・甘くないのが好き
・柔らかいのが好き
・しっかり焼いたのが好き
・野菜が混ぜ込んであるのが好き
・プレーンが好き
など、少し考えるだけで色々な「美味しさ」があることに
気が付きます。
 
従来の飲食店のあり方は「ウチの玉子焼きはこうなんでイ!」
という ”お店の味” があって、そのファンが店に来るという形
なのですが、未来食堂はそういった形を取りません。
 

そうすると、こんな疑問が湧いてきます

 
一人一人の好みが異なるにも関わらず、誰しもが美味しいと
思う味は存在するのか?
一つの味を磨くのではないとして、ではどういった観点で料理の
腕を磨いていくべきなのか?
 

一人一人の好みで提供する料理が変化する=軸がないとい
う事なのか?

 
これらの問に、すぐには答えが見つかリませんでした。
大量のレシピ本を読んだり、日々の料理代行(様々なご家庭
にお邪魔して料理をつくる仕事)をしている中で多くの人の
「美味しい」に接し、考え続ける毎日でした。
そうして自分なりに気がついた事が2つあります。
 
1.美味しさは「消去法」である
2.料理は「美味しさの本質」を掴むことが大事
 
1.美味しさは「消去法」
例えば先程の玉子焼きを例に取ってみます。
「甘い / しょっぱい / 香ばしい / 柔らかい」など、玉子
焼きの美味しさには色々なベクトルがあります。
 
それら全てを満たす玉子焼きは存在しません。
つまり「美味しい卵焼き」は唯一解でないことが分かりま
す。
 
しかし例えば、むっちゃしょっぱい玉子焼き、コゲコゲの
玉子焼き生焼けグズグズの玉子焼きなどを考えてみると、
これらは「美味しくない玉子焼き」です。
 
誰もが認める美味しい卵焼きは存在しなくても、誰もが認
める美味しく”ない”玉子焼きは存在します。
 
「コゲコゲは美味しくない」「しょっぱいのは美味しくな
い」「甘すぎるのは美味しくない」など、あらゆる”美味し
くない”要素を消去したものが、美味しい卵焼きである可能
性を秘めています。
 
「そんな風に弱気な姿勢で美味しいものが出来るの?」と
思われるかもしれません。
 
確かにその通りです。しかし「美味しくない要素」を取り
除いた玉子焼きは、あくまで土台です。
土台に少しの変化をつけることでその人向けの「誂え」と
なります。
 
2.料理は「美味しさの本質」を掴むことが大事
「美味しさは人それぞれ」と先ほどは書きましたが、既に
先人によって完成された料理(名前のある料理)には、個
人の好みに左右されない「美味しさの本質」が存在します。
 
例えば「玉子焼き」を考えてみると、玉子焼きは「玉子焼
き」です。「卵を焼いたもの」ではなくキチンと名前があ
ります。
 
「牛薄肉と玉ねぎの醤油煮かけご飯」ではなく「牛丼」と
名前があります。
 
名前のある料理は先人の知恵が詰まっています。
なぜ玉子焼きは ”卵を切るように” 混ぜ、だし巻きは ”卵
を滑らかになるまで” 混ぜるのか肉じゃがの肉は、なぜ
豚でも鳥でもなくて牛なのかなど。
 
これらは「その料理の本当に美味しい部分」(=本質)を
実現するために必要なTipsなのです。
 
どうして名前がつくほど(人口に膾炙するほど)メジャー
な料理になったのか。
何度も作って考察すると、そこには「美味しさの本質」が
見えてきます。
 

「誰しもが美味しいと感じる物」はないけれど「誰しもが
美味しくないと感じる物」はある

 
一つの味を磨くのではないとして、ではどういった観点で
料理の腕を磨いていくべきなのか?
出来る限り「失敗」な領域にはみ出さない料理を作り続け
ること。(玉子焼きの例だと、コゲコゲの玉子焼きを作ら
ないということ)
 
一人一人の好みで提供する料理が変化する=軸がないという
事なのか?
 
美味しさの本質を磨き続けることによって、変化しながら
も多くの人に「美味しい」と思ってもらえる料理を作れる
はず。本質を軸にすればいい。
 
 

 

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